毎回、真剣に書いているブログですが今回はより一層真面目に。
居場所の価値と題して、この日の活動を紹介します。
いつの間にか、上ノさんもひばりが丘小学校の一員となっており、子ども達にとって居て当たり前の存在に。
9月より始めたこのおとどけアートも本日11月29日で既に3ヶ月が過ぎました。
陶芸室に行けば、上ノさんがいて粘土を触ったり、器を作ったり、いろんなことができる。
そう思っている子ども達も多いでしょう。
それ以外にも、黒板に絵を描いたり、ただ走り回ったり、各自によってこの場所に来る理由は様々。
上ノさんに会いに来る子もいれば、スタッフに会いに来る子もいる。そうかと思えば、この場所を遊び場として友達でやって来る子もいる。今まで閉じていた場所が、上ノさんという人が居ることによって小学校の子ども達、先生、保護者に開かれた場所として、生まれ変わったのです。
そして、アーティストのアトリエでありながらも、多用途・無目的といった緩さ、余白がとても重要なんですね。アーティストの関わり方も、話しかけてくれば相手にするし、勝手に遊んでいるのは放置する。何かを求められる場所ではなく、単純に居ていい場所。
そういう空間が何の意味を持つのか。どんな役に立つのか。小学校の中には様々な施設があり、全て用途が決まっています。図工や理科や体育館、教室も、その役割を担うために生まれ、そこで必要な活動を行います。この機能的で生産的な場が小学校であり、いわゆる教育制度と密接につながっているのですね。
しかし、そんな場所の中にあるこの「おとどけアート」の空間は何なのか。カオスを容認し、居ることだけを肯定する場。
そこでは自分が小学生とか先生とか保護者といった括りに囚われることなく、〇〇という一個人として人と関わる、純粋な空間なんだと思います。
上ノさんは、アーティスト上ノ大作という生き様をこの場で、創作活動を通じて向い合った人に見せてゆく。「私」はこういう人間で、こんなことをしているんです、をさらけ出す場。ここでは「どんな私」であったとしても認められる、そんな場所なんですね。
うまくまとまりませんが、以降のブログでもう少しよくなることを祈ってとりあえず終わります。つづきます
コーディネーター/小林亮太郎