本町小学校でのおとどけアート七日目。
活動も終盤に入り、アーティストが学校にいるということが、当たり前のように受け入れられている今日この頃。
朝からせっせと鉛筆を削る中島さん。
アーティストといっても画家ではない彼が、なぜこの活動の中で子ども達と絵を描くこと、あるいはその時間を大事にしようとしているのか。
休み時間ごとに絵を書きにくる子ども達、とりわけNさんの存在が、今回の活動の中で向き合う対象としてフォーカスされていることは間違いありません。
そして休み時間。
もう当然のように絵を書きに集まってくる子ども達。
誰かが決めたわけではない、誰かがコントロールすることもない、濃密で不可解な対話が、中休みも昼休みも繰り広げれます。
出会った当初は、「鬼ごっこしよう!」「グラウンドで遊ぼう!」と普段の自分たちの遊びに引き込もうとしてくれた子ども達が、今はなぜか井戸の部屋に来て思い思いに絵を描いています。
子ども達の中で、中島さんという存在への認識が徐々に変化していることを実感します。
放課後には必ずといっていいほど数名の子どもがやって来て井戸ばた会議。
この風景も日常化して来ました。
学校のことや家のこと、今日の出来事などなど。
なかなか帰ろうとしない子どもを見かねてか、先生も混じって結局おしゃべりしたり絵を描いたり。
他愛のない話だけれど、心地よい時間が流れます。
ふらっと廊下を歩いていると、4年生が図工で描いで絵が飾られていました。
描いている途中で何度か教室にお邪魔したこともあり、ちょうど展示作業をしていた先生と、子ども達の絵についてお話ができました。
図工の授業の中で、先生達が子ども達にどのようなことを働きかけているのか、群馬県のアーティスト・イン・スクールで図工の授業に関わっている中島さんにとって、子ども達が描いた絵よりも先生方の指導方法や考え方に興味がある様子。
最後に先生から、図工の授業でどういうことを大切にしたら良いですか?と問われ、「とにかくほめることですね!」と即答。
とても印象的な一幕となりました。
そうした話との繋がりが、この日の放課後の井戸端会議で展開されました。
教科書を作っている業者さんも井戸の部屋に覗きに来て一緒におしゃべり。
中島さん、スタッフ、実行委員の加藤先生と一緒に図工の教科書を見ながら「図工を教える」ことの難しさ、あるいは「そもそも教えることとは?」という疑問について話し合いました。
それぞれの単元の中で身につける力や技術習得的な教育目標はあるにせよ、それぞれの表現には正解も不正解もない。
ならば、まずは子ども達が発する一つ一つの表現に反応し、表現しようとしたこと自体を肯定すること。
そこからもっと深い興味や楽しみ、本来の学びが拡張していくのではないだろうか、、、。
それぞれの立場で様々な意見が交わされます。
こうした対話の時間が生まれるのも、アーティスト・イン・スクールのような外部の人たちの出入りが活発に起きてい状況だからこそ起きうる状況だと言えます。
と、この1日だけを振り返っても、井戸の部屋があることによって、学校の日常とアーティストが学校の中に存在している非日常が交錯しながら、新たな日常が浮かび上がりつつあることを実感できるわけです。
さて、本日は休み時間以外の時間を使って映画鑑賞。
今回の活動の中で垣間見た世界のこと。特にイスラムにまつわる生活や文化を知るためにセレクトした映画を見ます。本当は子ども達と一緒に見たいところですが、短い休み時間ではなかなか難しいため、中島さんとスタッフで鑑賞。
今回の活動が、なんでこんなことになっていったのかもはや疑うものは誰もいません。
本町小学校での活動も残りあと二日。
週末には、ちょっとしたスピンオフ的な活動も予定しています。
そちらもぜひお楽しみに!
コーディネーター:漆