12月7日(木)、活動5日目。
ちょうど活動期間の折り返しです。
しかし、この日はりえさんが用事のため、スタッフが日中のお留守番!
中休みの時間。金属板にヤスリをかけてくれていた子どもから、
「これって結局何になるの?」「説明してくれないとやってることがわからない」と不満げに言われました。
そのときは金属同士をくっつけるための準備してるということを話したのですが、不満げな表情は変わらず、、、。他にも複数の子どもから次々に声をかけられていたため、結局、その子にはその後話をすることはできませんでした。
休み時間が終わって改めて考えてみると、実はその子は初めて図工室に来た子だったんじゃないかと思い当たりました。
そうだとしたらたしかに何をやっているかわからなかっただろうなと、それに気づくことができなくて申し訳なかったなぁと思います。
もし、それに気づいてきちんと伝えることができていたら、きっとその子には目的がはっきりして、今自分がやっていることにより積極的に取り組んだりもできていたかもしれません。
だけれども周りにはヤスリやハンマーを持ってはいるけれどももはや金属音を鳴らしたいがためにやっている子や、お願いしていた尖ったところではなく、自分が気になった1部分だけをピカピカにしようと一生懸命に削っている子など、提示した目的は別にして、自分自身でやっていることの中に面白さを見出しているような子たちも見受けられるし、ただ目的を伝えて納得させてしまうだけでは、自分の中にある「発見」や「気づき」のチャンスを奪ってしまう可能性も同時にあるように思います。
特に、おとどけアートのような小学校の休み時間や放課後を使いながら、子どもたちが自分自身の意志でもって自由に参加できるような活動においては、あえて目的や最終地点を見定めないことで見えてくる可能性を模索するところそのものを目的にしているところでもあります。たしかに提示してくれたことをやってくれるのは作業的にとても助かるのですが、、、(苦笑)
でも"どうして自分はこれをやっているのだろうか"というような疑問もその中で見つけてくれたら。もしそのときに気づかなかったとしても今後どこかのタイミングではっとするようなモヤモヤ感をほんの少しでも抱いてくれたら。と願います。
言葉ひとつ、ニュアンスひとつ違うだけで全然違った結果にもなりうるので、気をつけなければいけないですね。
そういう意味で、気を引き締めさせてくれたあの子に感謝です。はたして真意のほどは?
給食時間。毎日違うクラスで給食をいただくのですが、同じ学年でもクラス毎で全然子どもたちの雰囲気が違う!
今日はナゾナゾばかりの2年生。
「僕のお兄ちゃんの名前はなんでしょう?」
普通に難易度高くないですか?
何回「ヒントちょうだい!」と言ったことか、、、
昼休みはりえさんに代わって「出来上がった作品を設置するとしたらどこがよいか」という投げかけをしながら、子どもたちに学校の中を案内してもらいました。
職員室のなか、体育館の2階、ステージの上、図書室、廊下の端っこなどなどたくさん挙がっていました。
そんなこんなで昼休みが終わり、子どもたちが帰り支度をしているときに、りえさんが登校してきました。
登校してすぐに作業着を着込んで作業モードのりえさん。
今日もガリガリゴリゴリウィーン!