最終日、その2です。
自分たちでスライド見ても、わかんない事ばっかりだから、
分かる人に聞いてみようということで、地域の方々や先生方に協力を得た、
「スライド鑑賞会」。
結果的に、この時に出てきた話が後に子ども達と共に再現されるのですが、
この時は単純に、思い出話、面白い!というだけでしたからね。
そうしてできた作品。
ちょっと50年ほど前は、札幌の道路を馬が走っていた。
そんなの今の我々には想像つかないんですよね。
未来は何となく想像できても、過去ってのは想像が難しい。
人はきっと、持っていないもの・ないものについて想像したり、
望んだりすることはできるんだけど、
既に得たものには気付かないんですよ。
多分、時間がどんどんと過ぎてゆくから、
どんどん過去は忘れてゆく。
生まれた時のこと、子供の頃、青春時代、
未来を見ている間はどんどん過去を忘れてゆくんですよ。
人生が始まったばかりの子どもたちには、
膨大な未来という時間に向き合わなければならない。
こういうのもなんですが、
今回、めちゃくちゃたくさんお世話になった
道島さん&安保さん達は、この地域に住み、60年以上も人生を歩んできました。
人の命が100年だとすると、
彼らはもう折り返し地点を通過していて、
ふと、自分たちの育った街について、自分たちの人生について振り返った時、
これまで忙しくて見えなかった膨大な過去に向き合うんだと思います。
では、その過去とはなんなのか。
ここで、スライドが出てくるのです。
写真に残す、ってのは
瞬間を鮮やかに切り取る、
ということで、
どんどん流れてしまう「時間」を永遠に残そうという、
人々の悪あがきというか、努力の結晶なのです。
それを人は文明と呼びます。
文明とは、
文化や学芸という、
我々人間が行う日々の生活習慣であり、
それは本来その時代に埋もれてゆくものなのですが、
それが明らかになる、次の世代、未来に残って/してゆく、
ということなんですよね。
文明というと、カッコいい感じがするけれど、
その背景にあるのは、
過ぎ去る今この瞬間を永遠にしようとする、
人々の悪あがき。
なぜかわからないけれど、
残したい、伝えたいという、想い。
過去を掘り下げ、一生懸命足掻いた2週間の活動。
そりゃ、大変です。
文明に向き合っていたのだから。
でも、手垢がついて、土っぽくて、
だからいいんですよ。
(最終日スライドを見る会)
今回の活動で何をしていたのか。
それを、やっと俯瞰して見れるようになって、思ったのは
(最終日スライドを見る会)
ゲストの道島さんが言っていた
「何かを子ども達に伝えられないか」という言葉に対しての
答えなんじゃないですかね。
その答えは、
ちゃんと伝わっている、だと思うんです。
(最終日スライドを見る会)
進藤さんが、滞在したこの数週間。
僕らは、歴史や郷土という分類された世界に手を突っ込んで、
その中にある、
「よくわからないぐにゃぐにゃした何か」に触れていたんです。
標本化されてしまう前の、生きた何かに。
おわり
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主催/おとどけアート実行委員会
アーティスト/進藤冬華
協力/札幌市、苗穂小学校
企画・運営/
おとどけアート実行委員会
事務局 一般社団法人AISプランニング
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