始まると、長いようで短いおとどけアートです。
この日は、4日目。
活動部屋はいつの間にか、スライドルームになっております。
ただ、資料はスライドだけではないので机や部屋に並べてみます。
今から、50年ぐらい前の資料ですね。
巨大なそろばんをいじって見たり。
(ちなみに、3年生の授業でそろばんは習うとの事。)
(ちなみに、そろばん習っている子もいました。)
九九学習機(?)で遊んで見たり。
そして、今日もゲストを呼んでのスライド鑑賞会を行いました。
この日は、小学校で学びのサポーターをしている、
市川先生、富樫先生に来ていただきました。
(お二人は元教員で退職後、再雇用で小学校で働いております。)
地図を見ながら、説明をしてくれます。
ベテランの先生ならではの、分かりやすい説明です。
そして、昨日のスライド話があったおかげで、
話しがつながったり、補完されたりとめちゃめちゃに面白いです。
その後、授業の様子を見学させてもらいます。
ほんと、自由に学校内を見せていただけるのでありがたい。
(・・・・・・・・)
じーっと・・・
漢字のプリント。
そして数日間、学校に通い、
子どもたちの様子(反応等)を見ていて思ったこと・・・
【郷土に興味がない】
子ども達はスライドの部屋にやって来るんですが、
(日を追うごとに数が増えてきています。)
みんな郷土史に興味があってきているわけでは無いんだなと、気付きました。
そもそも、古いものを見せて「あー、なつかしい」とかは
過去を知っている我々大人の論理で、
その過去を知らない子どもたちにとっては、新情報なんですよね。
だから、スライドもフィルムカメラも過去の技術でありながら、
初めて触れる子どもたちにとってはスマホよりも
「新しい&珍しい物」なんですよね。
そして、そもそも子どもたちは「今」を学んでいる最中。
低学年の子は今まさに、社会を学び人間として必要な情報を
吸収している最中で、
我々大人のような見方をしているわけではないんですよね。
なので、大人にとっての郷土史も、子どもにとっては「今」の情報。
大人は過去という知識や経験からその
もう少し過去へ想像を馳せたりするんですが、
その土台となる知識がない子どもたちには、
たとえ苗穂や札幌市の郷土史を見たり聞いたりしても、
過去へつながる方法がないから、
全然違う国の話を聞いてるぐらいの感じなんでしょう。
確かに。
我々大人だって、
ニカラグアの首都マナグアの歴史については「?」ですよ。
大人=「郷土史」、引いては歴史にに興味がある、
というわけではないですからね。
この場所が郷土研究所であれば、
みんな面白がって来てくれるんでしょうが、
小学校にいる子どもたちは、
高校、大学、社会人といった
学力や趣味趣向で区分けされてゆく世界とは異なり
本当の意味で多種多様な子どもたちが集まる場所、
物事への興味も全然違う反応があって当然なのです。
だから、この場所に集まる理由は、
「スライド」であったり
(確かに、映像はさておきひたすらスライドの仕組みを聞いてくる子がいます。)
「暗い部屋」であったり、
「進藤さんやいっしー」とか、「なんとなく」とか、
そういった、各自の各々の理由でやってくるんですよね。
そう考えると、
小学校の中に、こういった「場」を作ってしまえば、
そこに同じような人が集まるのではなく
全然違う方向を向いている人たちがやって来ているわけで、
その環境・状況は「面白い」の一言です。
それは、地域でも同じことが言えるんでしょうが、
子ども達は知識だけで判断しているのではなく、
好奇心という身体的な反応が出やすい人たちなので、
様々なきっかけでその反応が見えるのです。
(子どもたちの反応ですね。)
数日通い、
子どもたちを観察していた進藤さんとの話し合いの中で、
そんな風な事を思いました。
そして、こんな場でアーティストの進藤さんが
どう振る舞うのか、何をするのか。
迷いに迷い、時間が過ぎてゆくのです。
今いる環境について向き合うと、考えることがものすごく多い。
そんな活動になっております。
つづく