元々絵画を専攻していた持田さん。
彼女が、大きな造形物をつくるようになったのには、理由がありました。
絵は見るひとが主体的に関わろうとしなければ、
絵そのものによほどの力(エネルギー)がないと、素通りされてしまう。
そうではなくて、
作品を見るひとの態度が主体的でなくとも、作品に関わらざるをを得ないような作品がつくりたい、
(それは持田さんでいうと非日常的な空間を作り上げることであったり、驚きを与えるものであったりする)、
というようなことを言っていました。
今回の作品はどのような非日常的な空間を作り上げ、驚きを与えてくれるのでしょうか。
山鼻小学校で14日間かけて制作してきた作品は、
石盤(それも燃える)を設置し、点灯され、完成となります。
最終日の午前中には子ども達に公開されていたこの作品。
石盤を点灯をするのは夜ですから、子どもたちが見ていたのは実は未完成だったのです。
それでも十分に、明るい時間には明るい時間の作品の楽しみ方があり、
暗い時間には暗い時間の楽しみ方も出来る作品のように思いました。
まずは明るい時間の作品です。
入り口はこちら。
非常に狭い通路ですから、
いくら子どもでも、一列にならなければ進むことはできません。
列をなし、今か今かと自分の番を待ちわびます。
そーっと
入り口の扉を開けます。
当然子どもたちは扉の向こうがどういう風になっているか、知る由もありません。
「うわあ」
背の高く、細い細い道を、
どきどきするような、そわそわするような気持ちで歩く。
少し、元の場所に戻れるか不安になったりしながら。
それでも空を見上げれば、
すがすがしいほどの青空。
こんな景色はこれまで見たことがない。
あっという間に終わりの時間。
出口の扉を開けると、まぶしいひかり。
何か、得体のしれないものから生まれてくるように、
ひょっこりとみんなが笑顔で帰ってきます。
「もう一回!」「もう一回!」
たくさんの声が聞こえてきました。
作品に入り込んで、作品がどんなものか体で感じることができる。
こんな経験はなかなかありません。
やがて、すがすがしい青空も夕闇に消え、あたりは真っ暗に。
暗い時間の作品も見ものです。
扉を開ければ、
ほら、
石の道が焼けている。
火というものは不思議なもので、
大きく燃えても、やさしく温かい。
明るい時間に通った道が、扉を開くと全く違う姿を見せている。
一日限りのこの作品。
作品名は、
「風景の裂けめ」。
見かけによらない繊細さ、そして大胆さ。
アーティストは、一般的には作品を制作するひと、表現をするひとのことだと思います。
でも、おとどけアートで転校生として学校に通うときには、
作品制作をすることはもちろんですが、
「こんなことしていいんだ!」というような非日常的なことを実現していくすがた、
誰にも邪魔されたくないくらい作品制作に没頭するすがた、
すきなことを目いっぱい追究しているすがたを、
雑な言い方をしてしまえば動物園の行動展示のように、
制作中の姿をありのままに子どもたちに見てもらうこともまた、その役割のように思います。
普段は学校にいない「ストレンジャー」、いわゆる「よそ者」だから成せること。
長くなりましたが、2週間にわたる
おとどけアート 山鼻小学校×持田敦子
をご覧いただき、ありがとうございました。
また、来年度のおとどけアートでお目にかかりましょう!
<完>