今回のアーティスト・イン・スクールは藻岩小学校で藤木正則さんをお招きし行われています。
藤木さんと我々コーディネーターで初めて打ち合わせをした際に、まずはじめに話したことは、「アートとは何なのか?」「おとどけできるアートはあるのか?」ということでした。
アートとは何か、それは答えの出ないやり取りでしたが、藤木さんの指摘を通して、これまでの活動を振り返り、アーティスト・イン・スクールに対する考え方を根本的に見つめることとなりました。
その場所にいる人々が「考える」ことがアートになるかもしれない。
これが藤木さんがそのときに呈した基本的な考え方でした。
故に藤木さんは今回の活動で、「なるべく作らない」という制限を自身に課しています。
アーティストが何かを作ることが、まわりの他者の受け身を作り出すかもしれないから。
「自発性」を他者へ期待し関与するときの「恣意性」の問題。
矛盾を抱え込んだ藤木さんの姿は、同時にアーティスト・イン・スクールや学校に内在する矛盾を表象しているようにも見えます。
今回のアーティスト・イン・スクールのひとつのテーマは「這いずり回る」です。
これは活動が始まる前の、校長先生と藤木さんの対話において出てきた言葉でした。
「這い回っていて授業がうまくいかない」というような言い方が学校では一般的に使われているそうです。目的にまとまっていかない様子を否定的に言い表す言葉です。
校長先生は、藤木さんと対話する中で、次のように述べています。
「今この話を聞いてると這い回ってみてそこに何が生まれるかっていうことを、我々が避けてきたことをね。這い回るだけじゃダメなんだとかね、こういうとこに繋がっていることに切り込んでいかないといけないんだとかね、なんかそういうことを一生懸命我々はやっていたなって思うんだけど。そういうことはやらないで。這い回ってる中で一緒に這い回りながら這い回ってる面白さみたいな。」
先のわからなさと随伴しながら這い回り、その過程でその先で何が見えてくるのかは未知数です。
どうなるかわからないし、藤木さんの言葉を借りれば「途中からアートになったり、途中からアートでなくなったり、ずっとアートではないかもしれない」
藤木さんと関わって子どもや先生方はどのようなことを考え、動くのか。また、その相互作用の中で、藤木さんはどのように考え、動くのか。
一連の行為・相互作用から立ち上がってくるものとは何か?
これまでのアーティスト・イン・スクールの歴史を振り返り、これからの展開を模索していく(這い回る)、そんな節目の活動になるのではないかと我々コーディネーターも不思議な高揚感を持っています。
このブログの更新も、今までのレポートの仕方とは違うものになります。
どのような言語化・情報発信になっていくかはまだわかりませんが、藻岩小×藤木正則アーティスト・イン・スクールの展開をご期待ください。